体罰容認派は奴隷制を認める人間と同じ心理

体罰容認派の主張は大体以下のようなものだと思う。

  1. 体罰をすることにより、一定の効果がある
  2. 体罰を用いないと、手のつけられない子供がいる
  3. 自ら体罰を望んでいる子供もいる

1について

まず、はっきりとさせておかないといけないのだが、体罰があるから効果があるという言い方は適切でないと思う。効果が出るのはあくまで練習をしているからである。

では、体罰とは何をしているのかというと、短時間で相手を従わせる事ができるという事に尽きる。暴力を使う事で相手に考える暇を与えないのである。
練習法に疑問をもたれると上手く言葉で説明できず時間を食うので、とりあえずやらせて相手に実感させようとしているのである。だから、相手が疑問をもつことなど許してはいけないのである。

また、練習では自分の言った通りの動きができることが大前提にある。相手がその動きができないという事があっては練習法が成り立たないので、絶対にあってはならないのである。だから、相手に上手くできないと思わせてはいけない。そういう素振りを見せた瞬間、
「お前は足るんでいる、練習に集中できていない」
っと、鉄拳制裁が飛んでくるのである。

※上記の説明では部活動などを例としているが、しつけ等の教育でも同様である。子供の疑問に答えられないので、疑問を持たれると時間を食うのである。

2について。

これは、どういった子供なのだろうか?練習をサボる子供だろうか?授業を聞かない子供だろうか?暴力をふるう子供だろうか?
どういった子供かはその時々で違うのだろうが、いずれにしても言えるのはそういった子供を従わせる必要があるのかという点である。

そういった子供たちには、法律による罰や停学、謹慎等のペナルティでいいのではないだろうか?
その子供がそれを望んでいるのなら損をさせてあげればいい。何も得な方に従わせる必要はないのだ。そもそも、その損得は我々の価値観に過ぎず、本人にはまた違った価値観を持っているのではない。

それで本人がどういった人生を歩もうが、暴力を使ってまで従わせていては本末転倒ではないだろうか。法やルールを守るために法やルールを破っていては、相手も納得するはずがないのではないか。

3について

これは言わずもがな、只のマインドコントロールです。その証拠に体罰をされた事がない人間が体罰を望むことはないでしょう。

どうして体罰を望むようになるのか。これは、楽に承認欲求を得られるからです。

体罰をする側は良い事と悪い事というのが明確に決まっています。言う事を聞くか、聞かないかです。どんな状況であろうと言う事を聞いてさえいればいいのです。
そうすれば、自分はその相手にとって必要な人間と成れるのです。

さて、こういった相手の言う事だけをする人間が出来るとどうなるか。最近、増田でみかけた

天職は見付けない方が良い

http://anond.hatelabo.jp/20130918010603

こんな感じの他人の価値観で生きていったが上手くいかず、裏切られたって感じの人間になると思います。
そして、何をしたらいいのかわからないとなるでしょう。
自分の価値観で生きていれば、たとえ失敗しても立ち直りが早いと思います。

自分は体罰は受けなかったが、他人の言う事に従って生きてきた人間なので良く分かります。たとえ、悪い選択だろうと自分で選ぶべきなのです。
良い悪いなど所詮は人それぞれで、誰にも未来はわからないのだから。

まとめ

さて、1、2、3と見てきましたが、いずれにしても見える体罰容認派の心理は、相手を良い方向に導いているのだから、体罰は必要ということである。
話が変わるが最近見たクラウドアトラスという映画で奴隷制の時代を描いており、主人である白人が黒人の奴隷執事に
「お前は以前より良い暮らしが出来ているんだから、奴隷であっても幸せだよな」
っとこういった感じの事を言い、黒人奴隷も
「はい、そのとおりでございます」
っと言っていた。
これはつまり、生活レベルが低い人を奴隷にして以前より良い暮らしをさせてあげているし、奴隷自身も幸せだと言っているではないか。だから、奴隷制も良いというのがその主人の言い分なのだろう。
自分の価値観を相手に強要しておいて良くもそんな事が言えるな、っと私は思う。